- 子持ち夫婦である
- 家の間取りで悩んでいる
- 広い家か狭い家かで迷っている
こんな方に向けて。
子どもが生まれると「もっと広い家に住みたい欲」が出てくるだろう。
- 子ども部屋を確保したい
- 大きな家のほうがいいのでは?
- 子どもグッズを収納するスペースがほしい
と考え始めるかもしれない。僕もそうだった。
また子育てをしていると「戸建ての家を買った!」とか「3LDKのマンションを買った!」とかいう知り合いも多くなる。
1LDK程度の「狭い」物件に住んでいるとしたら焦るかもしれない。
しかし、2LDK未満でも十分なのでは?と僕は経験的に感じている。
こう考える理由を、庭付き4LDKの戸建てで生まれ育った経験と、3歳児を育てた体験から考察してみた。
広い家は、管理が大変です。
当たり前の話だけど、広い家は管理が大変だ。
- 掃除
- 庭の手入れ
- 家電が巨大化
- インテリアの配置
- 1階と2階の上り下り
ひとつひとつは小さいかもだけど、トータルで見ると負担増だ。
あと、共働きが一般化した現在、家の管理に手を回す時間は減っているはずだ。
日中は仕事として、家にいる時間は夕方18時〜翌朝7時くらいか。ざっと12時間だ。
夕方〜翌朝までに家の管理をするのって厳しいんじゃないかと思う。
3LDKに夫婦+子で住んだ場合
3LDKに「夫婦+子ども1人」で住んだと仮定してみる。
- リビング・ダイイング
- 部屋①←寝室
- 部屋②←作業部屋として使用。物置き化するかも!?
- 部屋③←100%物置き化
- お風呂・洗面所
部屋①は寝室として利用するだろう。しかし、部屋②はたぶん使わない。そして、部屋③はもっと使わない。
それに、子どもが小さいうちは子ども部屋は不要かと。
我が家はもうすぐ4歳になる男児と暮らしているけど、日中のほとんどをリビングで過ごしている。寝るときだけ寝室に移動する感じだ。
振り返ると、僕自身も自分の部屋を持ったのは中学生になってからだった。小学生までは家族全員で寝たが、特に不満はなかった。皆さんはどうだろう。
2LDKに夫婦+子で住んだ場合
2DLKで「夫婦+子ども1人」だとどうか。
- リビング・ダイイング
- 部屋①←寝室
- 部屋②←物置き化するかも!?
- お風呂・洗面所
部屋①は寝室として利用するが、部屋②は物置き化するかもです。
でも、バッファーとして部屋を用意しておくのはありかと。すこし余裕があるほうが窮屈しないためだ。
子どもが小さいうちは2LDKくらいで十分だと思う。
3LDK以上では、空室が物置きと化する。
使わない部屋というのは、物置き化する。これは真理だ。
空っぽをキープするのは難しい。
どうやら人間っていうのは、箱があったら埋めたくなる生き物みたいだ。
- 空室がある ⇒ 物置きにしよう!
- 押し入れが空いてる ⇒ モノを詰め込もう!
- シンク下がスカスカ ⇒ 調理器具をたくさん買おう!
といった感じで、空間にせよ、時間にせよ、隙間ができたら気持ち悪くなる。
すると、埋めたくなってしまう。必要ないのにわざわざ買ってしまう。興味ないのにAmazon見ちゃう。
ライフスタイルは、変わっている。
もう少し俯瞰で社会を考えてみると、昔と今ではライフスタイルが激変したことがわかる。
- 共働きが一般化
- 3世代同居が減った
- 65歳以上は単身世帯が増えた
- スマホでモノが変えるようになった
- コンビニ&大型スーパーが増えた
ざっと思いつくだけでもこんな感じです。
一応根拠を載せると、「世帯人数」の推移は下記。
想像のとおり、世帯人数は減っている。
次は、共働き世帯について。
こちらも皆さんの感覚と一致しているはずだが、専業主婦よりも共働きが増えている。
「コンビニの店舗数」もついでに。
単純計算でも、1983年では60平方kmに1店舗だったのが、2012年は7平方km、2020年は6.5平方kmです。
周囲6Km以内にコンビニが1軒あるとしたら、ものすごい便利になったなぁと感じないだろうか。
コンビニの他に薬局やスーパーだって増えている。
この変化はつまり、家を倉庫にする必要性がなくなったことを意味する。
数km置きにコンビニやらスーパーやら薬局がある現代は、個人の代わりにお店が倉庫代わりになってくれている。
もちろん、災害用に最低限の備蓄はするべきだ。たとえば、2日分の水や保存食など。
だが、必要以上にモノを蓄えておく必要はなくなったんじゃないか。お店にいけば手に入るから。
足りなくなったら買いに行くスタイルが、物置き化しないためにも節約のためにもベターかなと思う。
「広い家に住む」だって、変わっていくはず!
先に見たとおり、ライフスタイルは激変した。僕たちの環境も激変した。
当然「広い家に住む=当たり前」だって変わっていいはずだ。
親の世代とわたしたちの世代では、明らかに環境が違う。
だから、親や上司や先輩のアドバイスを鵜呑みにするのはちょっと危ないかも。
「昔と今は状況が変わっているよな〜。」といったん立ち止まってみるべきだ。
親の意見が現代でもそのまま当てはまるとは限らない。
子育ては20年で終わる
子育てしていると、永遠に続くかのように思えてくる。
- 毎日の夜泣き
- 2時間おきの授乳
- 真夏・真冬の公園遊び
- ショッピングセンターでのイヤイヤ
喜びも大きい反面、苦労も多い。子どもがグズってるときは時の経過が長く感じる。
しかし、人生トータルで見ると子育ては一部でしかない。
仮に人生100年だとして、子育ての期間は20年とか30年とか。
長い人でも人生の30%程度、短い人だと20%かそこらだ。
しかも、子どもが自分の部屋を持つのは思春期くらいからだ。
3LDK以上の家が必要なのって10年くらいじゃない?
やっぱり、子どもが小さいうちから3LDK以上の家に住まなくてもいいのでは?と思っている。
2LDK未満でも快適に過ごすに
2LDK未満でも気持ちよく暮らすには、下記が重要だ。
- 「快適な生活」を全力で定義すること
- モノを徹底的に減らす
- 収納術に頼らない
- 家事をやめてみる
狭い部屋でも工夫次第で、快適な生活を送れる。
「快適な生活」を全力で定義すること
何よりも先にすべきは「自分にとっての快適とは?」を定義することだ。
ココが決まっていないと、快適に過ごすことができない。
たとえるなら目的地が決まっていないのに目的地に向かうようなもので、「快適」を定義しなければ快適に暮らすことは不可能だ。
とはいえ、「快適」を「誰もが羨む豪邸に住む」とか「みなが憧れる丁寧な暮らし」とか、こういった他者の評価が入った定義にするとうまくいかない。
重要なのは「自分が快適であるか」で、他人から見てどう思われるかは無関係だ。
なんでもない日常を、どう楽しむか?
また、快適は常に「日常の延長」であるべき。
「日常」とは、文字どおり毎日の暮らしのことであり、生活であり、基盤だ。
しかし一方で、多くの人(過去のわたしも)は日常ではなく、「非日常」を楽しくしようとする。
たとえば、
- 3ヶ月に1回は旅行に行く
- 毎週末は焼き肉を食べに行く
- ブランド物のバッグや服を買う
非日常を楽しくしようとすると、お金がかかる。疲れるし、執着もする。永遠に満たされない渇望を生み出す。
だからこそ、毎日の日常をいかに心地よいものにするかに全力を注ぐべきだ。
ここが重要だが「日常の追求」と勝手に名付けている
- もっと心地のいい部屋にする
- もっと美味しい味噌汁を作る
- もっとキレイになる掃除方法を編みだす
日常生活に彩りを加えたほうがより豊かな人生になると、僕は考えている。
モノを徹底的に減らす
モノで溢れていると心地よさからは遠ざかる。
「あれどこいったけなぁ〜」と探す時間は決して気持ちのいいヒトトキでははず。
むしろ、「また失くしちゃった…」とか「同じモノ買ってきちゃった…」とかネガティブになる原因にもなる。
ひとつだけ質問だ。
あなたはモノを、どこに、何個、なぜ、持っていますか?
この問いに2秒で答えられないなら、モノを持ちすぎているかもしれない。
そうならば、モノを管理できる分まで削ぎ落とすべき。
じゃないと、心地いい暮らしは実現できないはずだ。
モノを手放すのは意志ではなく、技術だ。
断捨離の極意については、下記の本を読むとイイです。
できればすべて読むのがオススメ。
同じジャンルの本を複数読むことでより大事な部分が見えてくる。
副次的な効果:生活費用が減る
モノを減らしていくと、結果的にお金を使わなくなる。
- 食品ロスが減る
- 同じモノを買わなくなる
- 中古品でもいいと割り切れる
- よく吟味してから買うようになる
- 本当に必要なものしか買わなくなる
上記のような習慣や考え方が自然と身につくからだ。
僕自身も断捨離をはじめてから、月々の支出が「30万円」から「20万円」に減った。
節約を頑張ろう!としたのでなく、断捨離をしようとした結果だ。
浮いたお金を貯蓄に回したり、もっと大切なコトに使ったり、投資に回したりと、お金の使い方がうまくなり、間違いなく人生が好転した。
収納術はいらない
収納術というのは、モノを徹底的に減らしきったあとで用いる最終手段だ。最終奥義であり、秘技だ。
順番が大事だと思う。
たしかに、収納術で整理すると片付いた感じがして気持ちいい。部屋がキレイになった気がするし、スッキリする。
でも、モノ自体の数量を減らさないと、どこに何がいくつあるのかがわからなくなる。
家事をやめてみる
あとは、今やってる家事を見直すのもアリかと。
見直すというか、「本当にやる意味ある?」というそもそも論を考えてみるべき。
見直す価値のある家事は
- 洗濯
- 掃除
- 食器洗い
- 洗濯物をたたむ
- アイロンがけをする
こういうやつ。
もちろん、家事自体に喜びを感じているなら続けたほうがいい。それ自体に喜びを感じているんだとしたら、それは自分にとって価値の高いことだからだ。
でも、もしも苦痛に感じているなら辞めてみるのもいいと思う。もしくは機械に任せるとか。
ちなみに僕は
- 洗濯 ⇒ ドラム式洗濯乾燥
- 掃除 ⇒ お掃除ロボット
- 洗濯物をたたむ ⇒ やめた
- アイロンがけをする ⇒ やめた(シワがつかない服にした)
とした。
一方で、料理と食器洗いは自分でやっている。なぜなら、料理や食器洗いが気分転換になるからだ。
あれやこれやと考えながら料理したり食器洗いをするのが、わたしにとって喜びであり、生きがいであり、気分転換になる。
広いリビングが正義
最終的に辿り着いた仮説は「広いリビングこそ子育てに最適」だ。
小さい子どもを持つ方は、生活の大半をリビングで過ごすはず。1人で部屋にこもったりはしないはずだ。
だからリビングに下記のものは排除した。
- ソファ
- こたつ
- テーブル
- カーペット
リビングが家族団らんの場であり、子どもの遊び場であり、昼寝場であるからだ。
できるだけモノを置かず広々と使ったほうが心地いい。それに、何もなければ子どものおもちゃが散乱しても、飲み物をこぼしても大丈夫だ。
最後に。
今、僕は2LDKのアパートに住んでいたが、1LDKにアパートに引っ越した。
この記事に書いたことを実践していくうちに、モノが減り、家事が減り、時間的・物理的なスペースが生まれたからだ。
「モノ教」からの脱却
現代人は常に広告に晒されている。それも常時だ。
これってつまり、
- もっと買ったほうが幸せになれる
- もっと広い家に住んだほうが幸せになれる
と啓蒙されているようなものだ。
でも、冷静に考えると、「もっと」を求めなくても豊かになる術はある。
むしろ、「より少なく」を追求したほうがいいとさえ思う。
なぜなら、現代は驚くほど便利なモノやサービスで溢れているからだ。
- ワンクリックで商品が買える
- 数キロ以内にコンビニ・スーパーがある
- 軽くて丈夫で多機能なアイテムが安く手に入る
と、もはや社会インフラだ。
この事実にさえ気がつけば、今までのように「もっと」を求める必要がなくなるはずだ。